
1968年12月生まれ。法政大学法学部卒 (その後、慶應義塾大学学士卒) 1991年 片岡物産に入社。1996年、(株)マタハリー入社、アミューズメント運営のマーケティング責任者として活動 1998年 中小企業診断士を取得 1999年 横濱カレーミュージアム設立プロジェクトに参画 2000年 横濱カレーミュージアム・プロデューサーに就任、入館者数の落ち込む同館を年間150万人の施設へと復活する。 2006年に横濱カレーミュージアム・プロデューサーを退任。現在、マーケティングコンサルタント、PR戦略プランナー、カレー専門家、フードコンサルタントととして活動中 著書に『国民食カレーで学ぶマーケティング入門』、『カレー雑学』、『一億人が大好物 カレーの作り方』(日東書院本社)がある。
『一度きりの人生。絶えずチャレンジしていたい』
井上さんはカレーのカリスマとして有名ですが、カリスマになられた経緯についてお教えください。
前職のアミューズメント施設経営(横濱カレーミュージアム) の会社にマーケティング責任者として入社しました。カレーミュージアムには、同企画の立ち上げ段階からマーケティング、プロモーションを担当する形で関与 しました。ただ、実際はじめてみますと、企画はよかったんですが、半年で事業が立ち行かなくなりました。そのため、事業の建て直しということで、今度はカ レーミュージアムの再建責任者として赴任しました。そのときはすでにカレーの専門家だったんですか?
いいえ、今だから言いますが、カレーについてはほとんど知りませんでした。まずは カレーについて研究しなければということで、専門家集団をまわりに作ることを考えました。もともと大学時代の趣味が食べ歩きであったり、これまでも食品に 関係する仕事をしてきたこともあり、食そのものには興味はありました。それからカレーのカリスマになったのですか?
調べていきますと、カレーが好きなマニアはたくさんいたのですが、カレー全体を語れる 総合的な専門家がいないことに気づいたのです。カレーミュージアムですから、カレーのすべてを語れないと駄目だと考え、「じゃあ」と私自らが専門家になっ たのです。そして、いろいろと取材を受けているうちに、いつの間にか「カレーのカリスマ」と言われるようになったのです。面白いですね。なりたくてなったわけではないんですね。
そうです。カレーミュージアムの代表ということで、いろいろと聞かれるわけ ですが、最初は答えられないことが多く、その都度、調べていくうちに本当の専門家になったんです。テレビにもカレーの専門家ということで呼ばれ始め、 代表になって、一年程度でカレーのカリスマになりましたね(笑)。カレーの総合的な専門家は初だったと思います。なるほど。最初は大変だったでしょ。専門家になるための秘訣があれば教えてください。
今から7年ほど前の中小企業診断士の受験講師時 代の体験が影響を与えました。その都度調べながら学ぶことに度胸がつきましたね。経営全般を教えるわけですから、すべてを知ってるわけではないじゃないで すか・・・。新たな情報を仕入れながら絶えず学んでは教えるという繰り返しと、質問されてわからなければ調べて答えて・・・ (笑)という中で、調べて、学んで、教えるということに対する度胸がつきましたね。さて、お話をお聞きすると専門性を極めていくうえでの秘訣がまだまだありそ うですが、教えていただけませんか?
基本は勉強するしかないです。コツは自分ひとりで勉強しないこと。私の場合 は自分が召集をかけることができる取引先の方々を集めて土曜の朝に勉強会を 開催しました。メンバーは10人程度でした。なぜ、土曜の朝ですか?
これも中小企業診断士の受験勉強時の経験ですが、土曜の朝はだらだらして結 構無駄になることが多かったんです。だから土曜の朝は仲間を集めてグループ学習をしていました。皆が自分で学んだことを発表し合って勉強することを繰り返すと、自分ひとりで勉強するより、はるかに効率がいいのです。そのこと を思い出して、土曜の朝に皆に調べてもらって、知恵を集めようと思ったんです。 皆で調べることのメリットは、学習スピードが上がることはもちろんのこと、 人から言葉で聴けるということが理解度を上げるうえでは効果的でしたね。 一年間程度継続しました。効果的な学習方法として、興味深いですね。すぐに集められるネットワークっ て、どんなネットワークだったのですか?互いに学びあえる、いい人たちの集まりを作るコツってあるのですか?
「カレーミュージアムを盛り上げるため」という大義がありましたから、取引先パートナーも積極的に応援してくれましたよ。結果的ではありますが、勉強会で 脱落していく人もいました。その人たちは言葉だけのお付き合いで終わりましたね。継続して、やる気のある人だけが残り、まさにミュージアムのブレーンとして組織化されていきました。現在の私の生きたネットワークとして関係は継続しています。ネットワーク作りのコツとしては、来るものは拒まず、去るものは追 わず、で継続することではないでしょうか。なるほど。ある意味で価値観の共有できるメンバーの選抜の仕組みだったのか も知れませんね。ところで、井上さんご自身として、カレーミュージアムの代 表を務める前と後では何か変ったところはありましたでしょうか?
代表になる前と後というよりは、中小企業診断士になる前と後で自己変革したと感じています。一番の変革は自信がついたということです。これで企業を辞 めてもやっていける(笑)と。もちろん中小企業診断士の資格があるからといって、すぐに独立できるものではありません。むしろ、中小企業診断士になるプロセスで得た専門性や自信といったものが大きいと感じています。 カレーのカリスマへの道も中小企業診断士で合格までに実践したプロセスをカレーに置き換えただけです。井上さんの人生を変えた中小企業診断士受験ですが、なぜ中小企業診断士にチャレンジされたのですか?
中小企業診断士受験の前は、まともに試験を受けたことがなかったんです。 大学は指定校推薦で入りましたし・・・。何かに真剣に、ストイックにチャレンジしたいと思い、どうせ受けるなら経営の勉強ができて、最難関を受けようと、合格率3%の中小企業診断士にしたのです。ストイックに(笑)勉強したいと思ったきっかけは何だったのですか?
当時、某中堅商社にいました。入社して2??3年目以降、新鮮なことがなくなり、だんだん学ぶことがなくなってきたのです。こんなことでいいのか? 毎日六本木に飲みに行っていていいのか?と悶々と思い悩みました。 何かにしなければ・・・と思い、目的なく続けても長続きしないので受験にチャレンジということになりました。普通の人はそのままサラリーマンを続けそうですが、なぜ感じたでしょうかね?
人生一度きりなのでチャレンジしたいという思いはずっとありましたね。上昇志向なのかも知れません。路線が見えちゃうのがいやですね(笑)。 でも弟はそうではないので、性分でしょうか?カレーミュージアムの代表で知名度も上がり、やりたいことも何でもできたと 思いますが、前職をやめたのはなぜですか?
前職では結 果的にはカレーの専門家の域を出ませんでした。自身の事業の領域は事業再生だと考えています。カレーミュージアムの時も、私としては、カレーの知識が自身 の専門性ではなく、カレーミュージアムをプロデュースしてきたスキルやPRのスキルが自身の専門性だと思っており、これを他に活かせるのでは?と考えています。あるいは、さまざまなカレーのアイデアを独自のアイデア発想法によって生み出してきましたが、これをカレーの中だけで展開し、さらにスキルをブラッ シュアップしていくには限界があります。昨年11月に退職し、現在はフリーのコンサルタントです。井上さんはさらにチャレンジして行かれる方だと思いますが、次のご活躍のステージは?
ただいま模索中です。もしかしたら支援は向いていないかも知れません。どちらかというと、プロデューサータイプで、将来は雇われ社長としての生き方かも知れません。また、生涯のミッションとしては、埼玉県に親の代からの農地があり、農業の活性化に取り組みたいですね。いろいろと多方面でご活躍されるようですね。私までわくわくしてきます。 最終的にミッションを実現していく際の井上さんご自身の強みは何でしょうか?
アイデアだけではなく、実践していくところにあると考えています。これは資質的なものでしょうか・・・暇な自分が許せないのです。ありがとうございます。ところで井上さんの元気の定義は何でしょうか?
はつらつとした状態です。常に熱く語れること。体調も大切ですね。身体のコ ンディションがよくないと、頭も回転しないですから。常にはつらつと頭が回転させているために何をされていますか?
脳は朝に動きます。朝は早く起きて、早い始動を心がけています。元気の源は何でしょうか?
楽しいことをしようと思うことです。楽しくないことは楽しくなるように発想 を転換します。 たとえば、クレームが発生しても単にクレームを処理するだけではなく、次の仕事に結びつけることを考えるとクレームも楽しくなります。 たとえば、私がプロデュースしていた新聞コラムで著者がドタキャンしたこと がありました。だったら自分が連載しましょうか?ということで自身の連載が 実現したり…。井上さんのいろんな楽しいアイデアはどこから出て来るのでしょうか?
発想するときはなるべく歩くようにしています。ケーキの特集をしていたとき に少し太った時期がありました。運動をしなければと、勤務地の降りる駅の2 つ前から歩きました。すると、歩くときに思い浮かぶんです。 楽しいことを思い浮かべながら、メモして歩く。これが私にはアイデア発想の場です。ありがとうございます。ところで、井上さんの夢は何ですか?
将来は沖縄に住んで、沖縄にいてもできる仕事をしながら暮らしたいですね。 沖縄には年に2回は行っています。現地の人からは顔が沖縄的だと言われています。ルーツは沖縄かな。また、今の学校教育は問題が多いと思っていますので、人材育成の分野で生きた証を残したいですね。いつも活動的な井上さんですが、どのようにして元気の素を貯めていますか?
オフは空想する時間で一人になる時間です。お風呂で半身浴したりしながら、 何をやりたいのかな??と考える時間がリラックスする時間です。なるべく一人の時間を意図的に持つようにしています。あとは人の話を聴くことです。元気の「気」を持つ人と意図的に一緒にいようとしています。このようなインタビューの場も元気になれるときです。ありがとうございます。では周りに元気ではない人がいたら、元気を伝えるためにどんなことをされていますか?
マイナス思考からプラス思考に変えてあげることをします。プラス思考で考えられるようにしてあげる。ちょっとしたことですが、視点を変えてあげることをします。井上さんにとっての元気な色は何でしょうか?
赤です。燃えるものがあるじゃないですか。元気になった言葉について教えていただけませんか?
有森裕子がオリンピックで金メダルをとったときの言葉です。「自分に金メダル」これだけ努力をしたんだから、自分をほめてあげるということを自分でしています。最後に読者の皆さんに元気人からの一言メッセージをお願いします。
ぜひ、楽しいことを一緒にやりましょうよ。面白いアイデアを持っている人、 本を出したい人など、何かを世の中に対して企てたい人はぜひ、連絡してください。一緒にやりましょう。本日はありがとうございました。アクティブな井上さんとお話をして私もわく わくした時間を過ごすことができました。今後とも「日本元気化計画」の元気 化の仕掛けも手伝ってくださいね。
もちろんです。一緒にどんどん仕掛けて行きましょう。

