
1976年に岡山にて、いのうえデザインを創業。
その後、社名を株式会社アイディーエイに変更。
デザインとは何か?その一つの答えをつくろうと株式会社アイディーエイ。
他に類を見ないやりかたで、パッケージから会社まるごとまでデザインするというコンセプトのもと、クライアントも消費者も身近に感じられる環境で、デザインマネジメントを軸にデザインワークを行い、日本のデザイン業界に新しい価値をつくる同社。
2004年にはロンドンインターナショナルアワーズWINNERを受賞。
デザインマネジメントを切り口に、国内外の有名企業のパッケージデザインを手がける。
『経営に足りないものがデザインマネジメントにある』
国内外を問わず、デザインを切り口に企業を業績アップに導くコンサルティング会社、アイディーエイを経営されていますが、この業界に入ったきっかけを教えてください。
小学生の時には事業家になりたいと思っていました。何の事業家とかは特に無かったんですけどね。
その根底にあったのは「親孝行したい」と言う想いです。 サラリーマンでは「親孝行」は無理だと思っていたので、事業家になると考えていました。
そして、起業するときに「デザイン」は初期投資がかからないから良いと思って選択しました。 もともと絵を描いたり、山へ行って木を切ったり鳥かごを作ったりしていて、モノを作るのは好きだったのです。
子供のころは山と海しかなかったから。
お金をかけずに起業、つまり「デザイン」で起業するのをかんがえたのはいつ頃ですが?
高校2年生の夏です。たまたまその時の新聞の特集でデザイナー特集があったんです。 パッと見て「これしかない」とひらめきました。
しかし、それからが大変でした。
当時は「デザイン」について誰一人として知らなかったから反対されました。
当時は「ファッションデザイナー」しかなかったので、職業として成り立つと思われていなかったんですね。
そんな中で、周りの反対に味方してくれた人はいたんですが?
田舎の叔父が一番初めに賛成してくれました。「自分の人生だから後悔しないようにしたらいい」と言ってくれました。
なので、進学の時は親には内緒でデザインの学校を受験しました。 内緒で受験したので、アルバイトをしてなんとか入学金を入れてから親に言いました。 さすがに、そこまでやったならということで親は納得してくれました。
実は今考えても、当時はデザインへの動機は深く考えていませんでした。
というのも、根本の考え方に「右と左の選択肢が出て来ても、どっちに行こうが同じ。」 つまり「何を選択しても結局は本流に戻ってくる。戻るものは戻る。」というのがありました。
大事なのは、「選択したら努力する」と言うことだと思います。
そこで一番注意したいのは、選択の場面で立ち止まってしまうことです。
学校卒業後されて、すぐに起業したわけですか?
いいえ。まずは大阪の企画の会社に入社しました。そこには先生と呼ばれる、関西で一世を風靡した人がいて、その人が面白いことを言っていました。
「デザイナーは有名になったらいけない。なぜならば、安い案件もプライドが邪魔してできなくなってしまうから。」
その人は当時の自分で、3日かかる仕事も2時間程度で仕上げてしまうほどの先生でした。
その会社にはどれ位いらしたのですか?
3年くらいです。 その後、岡山に帰って地元のデザイン会社に入社しました。デザイナーとして個人の基礎は大阪で作りましたが、この岡山が現在の株式会社アイディーエイの基礎になりました。
入社してからは、「ここの社長からは仕事をもらわない。」という姿勢で仕事をしていました。
デザイン会社などは大抵、トップ営業でとってきた案件を振り分けるのがほとんどです。 社長のやり方は俺の方法とは違う、そうではなく、自分で仕事をとってこようと思いました。 そのときから「デザインマネジメント」の考えを持っていました。
26歳で部下が5人いましたけど、その部下の仕事も全部自分が営業して受注してきました(笑)。
お客さんに営業をされるときに、何を一番訴えたのですか?
「仕事をください」だけです(笑)。デザイナーだから仕事はデザインと思っていましたし。 あとは大阪時代のお客さんとかも回りました。
その会社を辞めたのはいつですか?
入社後、2年で独立しました。その会社から引きとめはありませんでしたか?
「井上つぶし」はありましたよ。当時から脅威に思われていたので。
ある日、社長の自宅に呼ばれて「営業してくれ」と言われました。 理由を聞くと「営業は面白いぞ」と。
「デザイナーに“デザイン”ではなく“営業”をやれは無いだろ」と思い、退職をしました。
退職の挨拶に回ろうとしたら、もちろん「挨拶に行かないでくれ。」とその会社には言われました。
しかし、いろんな人が独立祝いとして、退職する前から仕事をいただきました。 「独立してからやってくれれば良いから」と。
ですから、独立した時にはおかげ様で仕事に困ることはありませんでした。 33年前の当時で、給料が12万円の時に50万円分の案件が合ったんです。
この頃は、井上デザインとして徹夜の日々でした。
会社にしたのはいつですか?
会社にいた時から5人の部下の予算管理もしていて、個人でも帳簿をつけていたので会社にするには、何の抵抗もありませんでした。会社にするにあたっては、1年、3年、5年と計画を立てていきました。
1年目の目標は、「2年後に家から事務所に移転する」。 そして2年目はがむしゃらに仕事する。
3年目の目標は「人を一人採用する」。 そして4年目はがむしゃらに仕事する。
と言う風にです。
大きな仕事のサイクルが3ヶ月ごとに来ていたのですが、それが現在のアイディーエイのボーナスの仕組みになっているんです。
働く人にも還元をしているわけですね?
もちろん。ボーナスや、秋の海外旅行など実施していました。週6日勤務が当たり前だった28年前にも、週休2日制を導入しました。
最近は人が増えてきたから、色んな人が増えてきて海外研修も行きたくない人がいるからそれは廃止しました。 春の全体研修として年1回は実施していますが。
岡山から東京や大阪に進出した理由を教えてください。
ある岡山の建材メーカーの依頼があって訪問した時の話です。その企業は県内のシェア38%で2位だから、もっとシェアを上げたいと。
私は思わず「全国ではシェア何%ですか?」と聞いたのですが、勿論先方は答えられませんでした。 社長は全国シェアで考えたことも無かったんです。
その社長に「県内200万人のシェアよりも全国シェアで考えた方がいいのでは?」
と言った帰り道に、ふと自分のことを考えました。
で、大阪の知人に電話しました。「大阪でデザイナー探しとけ」と。
そうしたら2名いたのですが、一人はアメリカ人で一人は韓国人でした。 とにかく採用して「200万でオフィス作れ」とお金を渡して作らせました。
これが大阪支社のはじまりです。
東京へは設立15年目に進出しました。
海外はいつ頃から考えていたのですか?
社内での海外旅行を始めた頃には、アジアに流れが来ると思っていました。95年頃には、これからは海外の仕事も入ってくると思い、英語が使える人材の採用を考えはじめました。
会社を伸ばした時に、苦しかった時と、その時期を乗り越えた方法は?
バブル崩壊の時に本社ビルを建てたんです。それまで黒字で利益も出てて、自社ビルの建設現場で柱が立った時にバブルが崩壊したというニュースを聞きました。 決算の時に、会計士が「来月資金が無いから倒産します」と言われまして驚きました。
調べたら、大阪支社が2000万の赤字でした。
社員を信頼していたので、オブラートに包まれた悪い報告に気づきませんでした。
キャッシュが足りない時に痛感したことがあります。
4000万円の赤字は4000万円では埋まらなかったんです。
経営の勉強の必要性を痛感し、それから経営の勉強をしました。
経営で一番大切なのは何ですか?
一番大切なのは利益計画ですね。経営が苦しかった頃、現状の数字から行くと4,5人多いことがわかりました。
と思っていたら、ちょうど4,5人辞めていったんです。
そして、利益計画を立てたら、その通りに黒字に転換しました。当初は3ヶ月先の仕事は見えないと思っていた社員も、利益計画を書いていくと経営が見えるようになってきたんです。
利益計画を実行するためにしたことはありますか?
会社を良くしようとしたら教育しかないと思っています。もちろん「何の」教育をするかが一番大切です。
アイディーエイでは、デザイナーは「レポート」と「スピーチ」が大切として、教育に入れ込んで、試験制度も作りました。
当初、何もやっていなかったけど順調だったのがすごいですよね?
デザインは描けば儲かると思っていましたからね。アイディーエイはパッケージデザインが基幹ビジネスですよね?その理由はありますか?
メーカーにとって戦略的に扱いやすいのがパッケージだからです。そのパッケージを扱うのが強みになるからです。
ある調査で、CMとパッケージの費用対効果の比率の興味深いデータがありました。
投下コストに対して、パッケージは20倍でテレビCMは3倍くらいだったんです。
パッケージについては、私たちは強みを持つために和のデザインを勉強させています。 和のデザインは日本でしか勉強できないですからね。
今までの事例で、パッケージを変えてで成功した会社の特徴はありますか?
経営者の好みを強烈に出さないことです。デザインは戦略です。
経営者の好みは戦略に組み込まれません。 経営者の好みで戦略が立案されるなら、戦略なんか要りません。
個性を持っている経営者を説得するにはどのようにしたのですか?
こちらのスタンスを明確にします。デザインするのはウチだから「おたくが好きとか関係ない」と。若い頃は生意気でしたから(笑)
最近は、マーケティング志向で「市場の声を聞かない会社は成長しない」という感じですかね。
生意気さは変わらないけど方向が変わってきました(笑)
今まで売上がワースト2だった商品が、パッケージを変えるだけでナンバー1になるなど、数多くのデザインによる奇跡を経験してきましたから。
デザインマネジメントのエッセンスを教えてください
デザインとは人的な力を超えた部分にあります。マネジメントとして、数値としては予測しにくいのですが、経営には足りないものがデザインマネジメントにはあるんです。
よく聞く話が「デザインするためには予算がない。だけど、売りたい。」です。
売りたいけど投資をしないことは矛盾しています。
私生活で高価な車に乗る経営者は、自身のプライドとか見栄が働いて高級車を買います。 ところが、そういう経営者ほど自分たちの商品には力を入れない、感情の部分で経営判断が左右されることが多いです。
経営者は想いを語るけど、数字に落とす作業をしていないことが多いです。
「100人の社員が幸せに過ごす会社を」というテーマも「幸せにすごすために年収は?」を明確にしないと、言われた方も実感がわかないです。
だからビジュアル化する必要があるのです。
数値化するとさらにビジュアル化することが重要になってきます。
売上予測にしても、自分の中の言葉をビジュアルかできない。 だから売上予測も出てこないのです。
実感がわかないからイメージできない。
私たちはデザインマネジメントで3つ考えています。
(1)経営をビジュアル化する
(2)デザイン事業をマネジメント化する
(3)組織システムをビジュアル化する
デザインマネジメントの必要性を語るときに、「ビジュアル=知識」としています。
知識が出てこないというのは教育が足りない。
ですから知識教育が大事なんです。
井上さんの元気の源は何ですか?
「遊ぶこと」です。固定概念を持たないで生きるのが大切です。
老人に「80だから女遊びはもういいでしょう?」という固定概念とか。
「60だから無茶したらダメだよ」とか、固定概念を持たないということが大切。
自分でうごくということに通じますか?
そうですね。元気というのは「人のために役に立てる」ということではないでしょうか。
使命感が元気を作る。
口で良いこと行っても使命感がないと美辞麗句になっていくんです。
今までの元気人インタビューでも、元気な人の共通点として「元気を与える人」という傾向があります。
最後に、次世代のリーダーに対して大切にして欲しいことは?
「単純に考えていくということ」です。最近の傾向として、勉強ばっかりしているから、複雑に考えていると思います。 人間はそんなに複雑に生きていないと思います。
意外と、単純な部分に答があったりする。
「腹が減ったから飯を食う」で良いのであって、なにも「今は、なぜ腹が減るかというと、脳の満腹中枢が・・・」と考え過ぎだと思います。
あとは、色んな人と会って色んな経験をして欲しいですよね?
私は「人の影響を受けないところで考えるのが独創的な考えに繋がる」と思っています。ですから、一番嫌いなのは講演を聴きに行くことです。講演するのは構わないんですけどね。
良い話は、聞いただけで終わることが多いです。 落語を聴いているのと同じですよね。
人から学ぶことをもっとして欲しいと思います。
人と話すと言うことは、「自分の生き様の確認、答え合わせを行う」ということだと思います。
基準は自ら持ち、それを確認するために人の話を聴く。
デザイナーの資質は才能によるところが大きいのですか?
そうですね・・・そういったDNAは相当なショックを受けなければ変わらないと思います。 生物も化学変化で変わってきます。
進化の過程で衝撃的な変化があるから進化がある。
相当なショックを受けて立ち上がる力があると進化する。 人生も地球の進化のプロセスと同様な歩みをするんですよね。
今の人はショックを避けて生きている気がします。
私はその人のためならばと、入社の面接で採用しない人ほど、とことん納得するまで話します。
ありがとうございました。今後も柔軟な発想で素晴らしいデザインを産み出されることを期待しています。本日は大変興味深いお話をありがとうございました。


