元気人インタビュー サムライ日本プロジェクト総合プロデューサー 安藤竜二さん

プロフィール
素材を生かしたプロダクト、空間プロデュースを得意とする。 手がけた作品は日本ではデザイン・ファニチャーブランドSIKIなどを数多くのライフスタイルショップにて展開。 海外でも2004年中国初めてとなるデザイン・ギャラリーを立ち上げ、中国国内のアート&デザインシーンに衝撃を与える。その活動はドイツの国営TVに取り上げられユーロ全域に発信され、イギリスで最も権威のあるデザイン誌ICON等にも取り上げられる。日本でも様々なメディアに取り上げられる。 老舗インテリア雑誌の室内50周年記念号では次世代を創る50人に選ばれる。
2006年 ブランディング・カンパニー株式会社DDR創設。
2007年1月 日本の地域を世界に発信。藩という切り口でブランディングを行うプロジェクト、サムライ日本プロジェクトを立ち上げる。
2007年8月 経済産業省"地域中小企業サポーター"(全国222人)に任命される。
そして現在、日本各地の地域の老舗こだわり企業、商品をブランディングする。

『私自身、自分は努力のかたまりだと思っています。』

ブランドへの気づき

はじめは1917年創業の材木屋にて、愛知県の田舎でハウスメーカーの入れない土地で大工への営業をしていました。
そこでブランドについて考えるようになりました。きっかけは、いくつかあります。一つは材木で言えば、木曽のヒノキは九州のヒノキの10倍の値段がするのです。「古来からの銘木」とか「樹齢」という要素が付加価値をつける理由づけではあるのですが、付加価値の力を感じました。
また、あるとき欄間をお客様に売る機会がありました。当然、私は「良いものを安く売りたい」という想いから、良いものを安い値段で提案しました。しかし、お客様は高い欄間を注文しました。彼らは私の考えとは違って「良いものをそれなりの値段で買いたい」という価値観でした。つまり、「良いものを選んだ自分へのご褒美」だから、価格は高くても良かったのです。「自分の納得したものには幾らでも払う」ということも大きな気づきでした。 当時、まだ定価設定を自分達で作る概念、つまり「ブランド」という概念はありませんでした。
ブランドに関しての考え方は、仕事で行ったアメリカで大きな影響を受けました。
当時の80年代は輸入住宅は珍しい時代でした。そこで営業から新規事業の立ち上げに異動して海外の事業を始めました。
海外の仕事で一番先に気づいたのが、もらう名刺がカッコよかったことです。そこにはイメージの連続性がありました。 全てが連続していく、CI(コーポレート・アイデンティティ)の概念がそこにはしっかりとありました。当時の自分の会社と言えば、支店によって名刺の発注先が違うから名刺が支店によって異なる、酷い場合は会社のロゴも印刷と紙の関係で色が多少異なる場合もあった程です。
海外の企業は「見せ方」が違うのは強く感じました。王室御用達のようなイメージを持つ会社も、創業25年だったりして見せ方がとにかくすごいと感じました。
そして、彼らの仕事の仕方にも「ブランド思考」を感じました。
彼らは日本企業と違って、規格の違いも変えないのです。インチとセンチから始まり、輸入の際には規格が違うので変更要求をするのだけれど、勿論変更要求なんてのみません。そこには自分達のスタイルがあるのです。しかし、そのスタイルを持っていながらも世界で物を売っている事には驚きでした。まさに自分達でイニシアティブを持って商売しているのです。日本は下代(原価)ベースで仕事をしているので、自分達で値段も決められないのが現状でした。そして彼らは、中国でも商売をしていました。

ブランドとは何なのか?

2002年頃から「ブランド」や「デザイン」が日本で言われるようになりました。私はもちろん独学で勉強しました。勉強方は「本を読む」というシンプルなものです。本屋で5万円分のブランドの本を買いあさって読みました。
同じものを同じ値段で、日本の職人の方が質の良い物が作れるのは明らかでした。
住宅に関して、海外は土足だから輸入材のフローリングの多少のささくれもお客様は気にしませんでした。ドアの色あいも、そこに色むらがあっても「味があって良い」と解釈する日本人。これには驚きました。日本の住宅ならありえないことです。「味がある」として全てを認めているんです。前述の欄間のお客さんも、「おれは目利きだ。100万円の欄間を見る目があるんだ」という「自分に対する言い訳」が欲しかったのです。
人はブランドにやられてしまうと価値観が変わってしまうのです。

人々がブランドにやられてしまう面白い例があります。
当時、輸入住宅の材料もメイドインチャイナへのシフトが進んでいました。
アメリカのメーカーから通達も無いまま、そのメーカーの製造拠点が中国に移っていたのですが、売れ行きに代わりはありません。もちろん、製品のいい加減具合は変わらなかったのですが・・・。 そこで99年頃から中国を回るようになりました。自分達が日本向けの住宅材をアメリカのメーカーを中抜きして、中国で生産すれば利益も上がると考えました。
そして中国の工場にモジュールも注文して作らせたんですが、全く売れませんでした。
理由は簡単でした。
自分達は、品質の面においては、むしろアメリカのメーカーより高品質のものを中国で作ったのですが、「中国製だから物が悪いだろう」と消費者は考えていたんです。 本当の無印の良品を作ってしまったのです。
これでは消費者には響きませんでした。
さらに、中国では3ヶ月もするとコピーが生まれていました。ある日、他の工場にパッケージもほぼ同じままコピー製品として別の会社が作っているなんて日常茶飯事でした。 そうなると価格競争への突入です。

ブランド思考

では、他者と「何を変えるか?」を考えなければなりません。
2000年頃から「ブランド」について考えていました。
デザイナーがイニシアティブをとってレストランをオープンしたり、日産のカルロスゴーンが「デザイン」を打ち出したのもこの頃です。 私のブランドに関しての勉強は5万円分の「ブランド」の書籍を購入することから始まりました。
書籍を読んでの感想は、「どれも同じことを言っている」ということでした。
「消費者との約束。その象徴がCI」
私は仕事で地方のみなさんに説明する時は、「国道走っていて、赤い看板にMの文字を見ただけで、バリューセットのチーズバーガーを想像するでしょ?それがブランドです。」と。 これはすごいことです。
アメリカでは、商品のカタログを無料で配りはしません。
私も当時、輸入住宅材のカタログを仕入れて、1200円で売ってみたことがありましたが、見事に売れました。 住宅を建てる人からすれば1200円は住宅建設費に比べたら安いですし、思い出にもなります。

見せ方や歴史観は日本という国は得意分野のはずなのに、100年企業が一番多いのに、時代にあっていない。
大切なのは「消費者に伝えるためのブランド作り」です。
人の目に触れる事をしなければならないのです。
だからと言って、ブランディングという視点で多額の広告予算を組んで広告しろということではありません。パブリシティは作れるんです。 私の体験談ですが、昔ポパイという雑誌を見ていて、ビームスという若者に人気の洋服屋のバイヤーが自分の好きなCDや家具を語っていた。 そこで疑問が。「なぜ、素人の兄ちゃんがトレンドを語るのか?」

日本人は物選びができないから、セレクトショップが流行るんです。
つまり、パブリシティに載ればトレンドは作れると考えました。

ブランディングについて

「答は書いてある」
パブリシティに載ればトレンドは作れると言っても、どうやって?と思われるでしょう。
私は当時、ファッション誌の掲載を考えた時に出版社に電話してみたことがありました。
当然のことながら、広告の価格表がきました。
ある時、私は妻が雑誌を読んでいるのを眺めながら広告は見てないことに気づきました。 そこで、特集記事に載っているセレクトショップへの営業を開始しました。 特集されるセレクトショップに気に入ってもらえれば、記事として紹介されると考えたのです。
これは見事に成功しました。
ブランドは一人の人間が作れば良いと考えています。 そこには人が納得するための、意味がなければいけない。 要はわかりやすいかどうか?です。
100字で自社ブランドを説明できるようにして、皆が同じように説明できるか否か。 100人の社員が皆同じことができるようになったら、それはブランドと言えるでしょう。
無印良品は、以前は田中一光氏という方が全て「無印的か否か」を判断してました。
だからわかりやすいのです。

そしてサムライ日本へ

「デザインで物が売れる」というのは違うと考えています。
デザインだけでなく、デザインは大きなきっかけの一つでしかない。 もちろん、お金の流れもデザインできなければダメだと思います。
サムライ日本のきっかけは、「1社でやるのは大変だったから」です。
アメリカに行っていた当時、自分の町の説明を自分ができないのは恥ずかしかった。 説明できない理由はただ「知らないから」。それではいけないと思いました。

岡崎の豆腐屋のライバルはその地域にしかなかったのが、コンビニの台頭で流通網が発達しました。
これはデメリットばかりではなく、地域のモノや情報が欲しい人がいるので、そういう方にとってはメリットとなりました。 ルイヴィトンはフランスでしかモノを作らないのです。
ここが1流と3流の分かれ道だと思います。
つまり、岡崎の八丁味噌は杉の樽で2年半熟成させたものを言います。つまりそうでないものは「岡崎の八丁味噌」とは呼べないのです。

人生論

私自身、自分は努力のかたまりだと思っています。
好きな言葉は、詩人アランの「安定は情熱を殺し、不安・苦悩こそが情熱を生む」です。
毎年、今年が勝負と言い続けています。
人格形成においては、高校時代の4,6歳年上と遊んでいたのが大きな影響を与えたと思います。 良いことと悪いことの違いを教えてもらった。
私のキャリアや話を聞いて、よく「営業の極意を教えてください。」と聞かれます。
当たり前のことしか答えられませんけど、「当たり前のことを当たり前にやる」、「約束守る」、「挨拶する」「サプライズ」の4つをいつも答えています。 「サプライズ」は、その人の想像以上のことをやってあげる、とそのままですが、他に関しては本当に自分にとっては当たり前のことだと思うんです。 自分の性格上、営業に行って、「会えない」はありえないと考えています。 会いたくないから「会えない」のです。でもこれは、部下からするとすごい負荷なんですよね。そこで多くの気づきをもらいました。
自分の部下になる人間が、皆辞めていくんです。
私の基準で「できる」部下に言われました。「当たり前のことを当たり前にやるのは難しいんですよ。」と。
努力すれば良いと思っていたのですが、考え方のパラダイムシフトが起きましたね。そこから、皆できないから「一緒にやろう」に変わっていきました。
基本的に、性善説は日本のみで、性悪説がほとんどなんです。それは、中国で少し価値観が変わりました。
お互いが知り合いを紹介しあって、みんなが絡めるように成長していく姿勢がそこにはあったんです。
成長思考が高いから、お金のやりとりとかではなく、仲間が大切、人種とかも関係ないという姿勢です。そういうのを見て「自分がやれることは皆もやれる」から「僕にできないことをできる人もいる」に価値観が変わりました。

何事にしても大切なのは、情熱を持ち続けることだと思っています。

今度、本を出版することになったのですが、その中にも色々と触れているので興味のある方は是非どうぞ。